「高熱隧道」掘削当時!
2020-10-09
欅平駅構内の展示物の一部ですが、「高熱隧道」掘削当時の阿曽原になります。(雪崩被害前)
現在の小屋は、中央左寄り「阿曽原工事現場」の印字の「原」の文字上に横に三つ並んだ暗い穴みたいなのが見えるのが現在の小屋の基礎になります。
写真では分かりませんが、小屋で乾燥室として使われているトンネルは、当時の鍛冶屋だったそうです。
現在は藪で隠れていますが、藪漕ぎしてみると至る所に整地され石垣が積まれた平地が隠れているのを見つけることが出来ます。
立ち昇る白い煙(湯気)は、高熱隧道の熱気を逃がす煙突?の役割をしている斜坑になります。(現在は隧道内の温度が下がり湯気は出ていませんが、露天風呂の湯元トンネルからは今も出ているので高熱隧道だと間違える人も)
左側二つの斜坑は、登山道を欅平に向かい水平道に出る手前の最高点付近から今でも暗い穴が開いているのを見ることが出来ます。(高熱隧道内に棲み付いているコウモリの出入口になっているのでは?)
写真右側中段の煙が少しだけ見えるのは、斜坑ですが現在は藪の中でコンクリートで塞がれています。
戦前で資材も道具も現在とは比べ物にならない時代に、こんな山奥に驚くほど多くの建物が建っていた「大規模飯場」だったのかが分かります。
この後「泡雪崩」の大災害に遭いながらも強行して作られた「仙人谷ダム」ですが、黒部の凄さ・人間の凄さを解っていただけるのでは?
書き出すと限がないので・・・阿曽原に来られる方は、是非とも「小説 高熱隧道」(吉村昭著)を読んでから来られますとさらに価値ある山行になるのは間違いなしです。 (数年前に増版されたってことを耳にしましたが・・・?)
この記事の URL : http://grayzebra8.sakura.ne.jp/azohara.niikawa.com/news/2020/10/n20201009a.html