阿曽原温泉小屋

k

お宝です!

2025-10-06

写真

毛筆サインと「松」の印は五巻全てに 奥は「黒部の太陽」の台本

『黒部峡谷探検』1927年「フィルムは記録する」

国立映画アーカイブ所蔵の映像が、YouTubeで見ることが出来る様になってました。

この映像は、昭和二年に文部省が 冠松次郎吉沢庄作 等に依頼して制作されたと聞いています。(二人のハット&ジャケット姿が渋いのです)

この二年前の大正十四年、十字峡が冠松次郎たちに発見されて「黒部川随一の奇観」として紹介されています。

私は15年ほど前だったか?? この映像の上映会が黒部市で計画されて、その際に映像解説を依頼されたことがあります。

私の親の生まれる前の話しで、果たして解説など出来るのであろうか?はなはだ不安でしたが、無音白黒映像を取りあえず見せてもらいました。

下流から黒薙~猿飛~アゾ原~作郎越~十字峡~仙人谷~池の平~別山~内蔵助平~~~(「アゾ原」と濁点が入るのが正しいと判明)

今では川の流れが変わってしまい見ることが出来なくなった猿飛・東谷や、ダム建設前の黒部川の激流を見て驚かされたり、平の池で遊んだり・剣沢雪渓の下に潜ってみたり・・遊び心?冒険野郎?的な映像に頬が緩みました。

志合谷・折尾谷等の本流との出合い等水平歩道から見えないところも、以前遭難救助や訓練等で入ったことがあり見覚えが有り解ったのですが・・・判らなかったのが最後の方に映された広河原???流れからいえば上流部になるのですが・・・

そこで当時を知る第一次南極観測隊ガイドの芦峅寺五人衆「佐伯栄治」さんがご存命中だったので、お宅を訪ねて映像を見てもらって聴いてみました。

現在では黒部ダムの湖底に沈んでしまった 「御山谷」 前後の河原だとアッサリ教えてもらいました。(私が生まれた頃にダムが作られて、水没しているのだから解かるはずが有りません)

帰りがけに「お前にやるわ!」って頂いたのが、冠松次郎さんから直接頂いたという直筆サイン&印入り「山渓記」全五巻を頂いてしまいました。

更には映画「黒部の太陽」の台本も見せていただきました。

佐伯栄治さんは撮影当時スタントマン?的なお手伝いをされていたそうで、本人は照れて話さないのですが・・どうやら一の越からのスキー滑降シーンは栄治さんだったとの話です。

栄治さんのおかげで、県外からも大勢の来場者の有った上映会では無事に解説役を務め上げることが出来たのでした。

※参考(これもお勧め)

『鹿島槍ヶ岳と下廊下』1930年「フィルムは記録する」

アーカイブ

最近の記事